徳島県立城南高等学校
 
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渦の音歴史館


2010/04/27

渦の音歴史館-展示詳細-(書)

| by:広報

歴史館に入ってすぐ右手の壁には、漢学者の校長をはじめ、諸氏の書などを展示しています。
 
岡本斯文(おかもとしぶん) (1843~1919) 号は午橋(ごきょう) 
 明治12年、徳島中学校初代校長心得となり、同校の基礎を築いた。
その後、徳島師範学校長並びに徳島高等女学校長を兼務。また、自費を
投じて養淑会を開設し、女性私塾の先駆者となった。
 
 
 
 

 
 岡本監輔(おかもとけんすけ)  (1839~1909) 号は韋庵(いあん)
 
慶応元年、日本人として最初のサハリン北部探検をした。
その後、函館裁判所の権判事、北海道開拓使の判官、
東京帝大文学部雇員などを経て、
明治27年徳島県尋常中学校(現城南高校)校長となった。
坂本龍馬とも語り合った彼は、時の政府の政策、外交を
鋭く論じて生徒の熱い心を揺さぶり、しかしそのために
政治的圧力で退職させられた。
それに抗議し、全校生徒は4日間の同盟休校を実行した。(「城南の青春」より)
 
 
「万人の敵」 史記(司馬遷)から選んだ岡本監輔の心意気が込められている。
 
 
 
 
 
「エトロフ感懐」石碑の拓本
 
 
 
 
新居敦二郎(にいあつじろう) (1849~1917)  号は湘香(しょうこう)
 
明治14年、徳島中学校校長となり、4年間在勤した。
後に札幌農学校(現北海道大学)の漢学講師を勤めるなど
北海道における高等教育の充実のために活躍した。
著作に、「紋鼈函館江差巡回紀行」 (北海道庁長官岩村通俊に随行して
紋鼈(もんべつ)製糖所の開業式に立合い、その後函館より鶉山道を通って江差に至り、
船で小樽に帰着するまでの日記。)などがある。
 
 
 
 
 
 
 
 岡本由喜三郎(おかもとゆきざぶろう) (1870~1955)  号は対南(たいなん)
 
明治29年、徳島中学校の教諭となり、以後昭和5年までの35年間優れた指導と学識を持って
漢文教育にあたった。
「恩師というとやはり”ユキサン”を一番に思い出す。古武士を思わせる短躯痩身、射るような鋭い眼光。
言葉数も少ないのに非常に怖い授業で、いつの間にか漢文に自信がついているのに自分で驚いた。
私も教師の道を歩んできて、”教授法は人にあり”としみじみ思うこの頃である。」(森孝三郎氏 昭和3年卒)
(「城南の青春」より)
 
 
 
 
 
 明治から昭和にかけて本校教育に尽力された諸氏の偉業に思いを馳せるとともに、
貴重な書を鑑賞されてはいかがでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 

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