徳島県立城南高等学校
 
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渦の音歴史館


2010/04/28

渦の音歴史館-展示詳細-(阿部有清)

| by:広報

現在の城南高校はSSH事業や応用数理科設立など理系のイメージがありますが、
歴代の漢学者の校長など、文系教育にも重点を置いていました。
とはいえ、理数教育に携わった教師や、その影響を色濃く受けた先輩方の偉業は
すばらしいものがあります。
「理数教育を推進した教師と先輩たち」のコーナーでは、理数教育を推進した四人にスポットを当てています。
阿部有清(あべありきよ)  (1821~1897)
 
教壇の上に突っ立った身長5尺に満たない小さな先生。
難解な数学の問題に頭を痛めている教室の生徒たちをジロリと見渡してから、やおらフトコロより羊羹を取り出す。
「ホレ、見てみろ、これが長方形でアル」
 
 
右手にしたナイフで羊羹をさらに切って見せ、
「ホレ、これが弧三角形でアル。これは鋭角であり、これは鈍角なのでアル。
 ウン、どうじゃ。まだわからんかい。」
 
 
 
唖然としている生徒を尻目に、くだんの先生、今度は羊羹の切れっ端をポイと口の中に放り入れ、ムシャムシャ。
これぞ名にし負う徳中の数学の鬼、阿部有清先生。臨機応変と言おうか、チェンジオブペースの妙と言おうか、
他人は真似のできない先生のユニークな指導方法は徳中名物の一つであった。(「渦の音」1973年版46ページより)
 

当時の数学教授は洋書を使って行うもので、内容的にもレベルが高く、生徒の学習は容易なものではなかった。
生徒思いの熱心な有清先生は、毎時の講義文を作成し、数学の苦手な生徒にも懇切丁寧な指導に当たった。
知識注入的詰め込みを避けた開発的教授法と、ユーモアと機知にあふれた授業は、
やがて数学の魅力にとりつかれた多数の生徒たちを生み出していく。
後年徳中の数学と畏敬された武田丑太郎先生は有清門下の四天王の一人である。
我が国数学教育に名を馳せる林鶴一東北帝大教授
及び、吉川実夫京都帝大教授は、武田先生の弟子であるから、
有清先生の孫弟子にあたる。

奇行・エピソードの多い人で、常に袂のなかに菓子を入れており、
講義の代理(指導文代読)を務めたものに、生徒の前で「オチン」と称して、これを与えた。
また、気が向いたときには「校長が如何に止めてもフリきって」(「徳島毎日新聞」昭和2年6月16日号)
生徒たちを率いて大滝山の焼餅屋荒らしをしたという。
さらには、授業時間先生不在のため職員たちが市内をかけずり回って探してみると、
なんと生徒と一緒に涼しい顔で芝居見物をしていたとも言われている。
中秋の月見の宴でも、

「すみきって またすみきって すみきって
    かくをまるなる 望の夜の月」
 
と詠んでいる。
明治30年、12月20日死去。卒業生たちはその功績をたたえて寺町長善寺に碑を建立した。
その墓碑銘がまた変わっている。
死後もなお、数学者としてのユーモアを忘れない人だったのである。

阿部有清先生 墓面
修算院釋圓理居士
 明治三十年十二月二十日
    前白 阿部有清 行年 七十七
                                                                                            (「城南の青春」より)


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